私と陸上競技との出会いは中学時代に遡ります。
とにかく速く走りたい、遠くへ跳びたい、遠くへ投げたいという強い想いだけで、
中学・高校・大学と陸上競技部に所属しました。
それと同時に、機械工学を学びたくて、大学では機械システム工学科を専攻しました。
義肢装具との衝撃の出会いは
2000年のシドニーパラリンピックのTV中継を見た時でした。
普段とは見慣れない陸上競技場ですが、
なんと選手の脚に機械がついているではありませんか。
当時大学生だった私は「義足」という言葉も存在も知らず、
唯々機械を装着したアスリートが競技場を走り抜けていく光景を
呆然と見つめていました。
そして、私の中にある感情が芽生えました。
「切断で失ったアスリートの脚を作りたい。そして、一緒に走りたい。」
大学を卒業後、義足を作るために
必要な義肢装具士の資格得るために専門学校に入学。
専門学校入学後も陸上競技を継続。
そして社会人になり、年間数百本の一般ユーザー向けの義肢装具を製作する中で、
アスリート専用のスポーツ義足・装具の製作に留まらず、
世界的に見ても珍しいスポーツ義手も製作してきました。
就職してから現在に至るまでも陸上競技は継続して行い、
数々の義肢装具アスリートと共に汗を流してきました。
義肢装具ユーザー・アスリートとの「時間」を今まで以上に大切にするため、
より丁寧に対応するため、そしてサポート体制を充実させるために、
この度は「オスポ(OSPO:Okino Sports Prosthetics&Orthotics)を設立しました。
「新たな一歩をユーザーと共に、記録への挑戦をアスリートと共に」
オスポ代表 沖野敦郎